経済 Economy


通貨:

Kip(キープ、キップ)

1USドル=約8000キープ

 

 タイとの経済的なつながりが強いラオスはバーツ経済圏に取り込まれており、国内ではタイバーツが一般的に流通しています。また、ホテル・レストランから一般商店までUSドルでの支払いが可能で、ラオスキープ、タイバーツ、USドルの3つの通貨が利用可能です。ただ、お釣りはほとんどキープでしか返ってきません。北部の中国国境付近では人民元も通用しています。

 

 

産業:

毎年、7%前後のGDP成長率で発展を続けるラオスですが、経済規模は決して大きくありません。

2009年のデータによると、ラオスのGDP*1は約55億ドル(4500億円)であるとされます。これは鳥取県の1/4程度の経済規模にしかすぎません。

*1GDP=Gross Domestic Product(国内総生産)

 

農業

ラオス経済を支える主な産業は“農業”で、国民の約80%が農業に従事しています。(農業のGDPに占める割合は約40%)

ラオス農業の中心は稲作で、大地には広大な水田風景が広がっています。大部分が水稲耕作のため、大部分の農かは乾季に野菜等の栽培を行っています。

ラオスは経済規模の小さい貧しい国ではありますが、農業をベースとした生活なので食料は豊富にあります。そのため、国民が飢餓状態に陥ったり、町中に物乞いが増えたりするといった状況はありません。

ラオスの人々の生活は確かに「貧しい」ですが、彼らは「豊か」です。

また、メコン川流域は降雨量に恵まれているので肥沃な土壌が広がっています。そのため葉菜類の栽培も多く、パクセー市郊外のボーラヴェン高原では良質なコーヒー、キャベツ、ジャガイモの産地になっています。ちなみに、ラオスのコーヒーはラオス最大の輸出農作物です。

(ラオス人はコーヒーの苦みが苦手。コンデンスミルクをたっぷり入れて飲むのがラオ・スタイル)

 

鉱工業

コーンパペンの滝
コーンパペンの滝

 一方で、ラオスの鉱工業はというと未だ大きな発展を遂げているわけではありません。ラオスは内陸国であり、海を持たないために工業の発展(誘致)には不利な条件にあります。実は、タイ国境を流れるメコン川は大型船が遡行可能な川幅をもっているのですが、南部のラオス‐カンボジアの国境付近には巨大なコーンパペン(Khone Phaphengの滝群が川を分断しているので、船が外海へ抜けることはできません。

この船舶による海上輸送が出来ないという不利な条件のため、原材料・製品の輸送には余計なコストがかかり、他の東南アジア諸国のような“安価な人件費”を生かした工業振興は難しいようです。

ラオスの地下資源は金、鉄、銅、鉛、マグネシウム、マンガン、タングステンなどの鉱床が存在していますが、急峻な山岳地帯と未整備な交通インフラのため、大規模な産業開発は進んでいない状況です。

 

観光産業

Vat Phou遺跡からの景観
Vat Phou遺跡からの景観

また、1986年のソ連のペレストロイカの影響を受けたラオスでも、チンタナカーン・マイ(新思考政策)と呼ばれる経済改革が行われ、市場経済のシステムが導入されると、それまでほぼ鎖国状態であった共産主義政権が、観光の自由化と開放を行い、観光産業の育成に努めた。

現在では、ルアンパバーンの町(Luang Phabang)とワット・プー遺跡(Vat Phouが世界遺産に登録されたことにより、多くの外国人観光客がラオスの地を踏んでいて、外貨獲得の重要な産業となっています。(東洋的な雰囲気を遺したままのルアンパバーンは欧米人に人気らしいです。)日本でもプロモーションのために、これまでに2007年と2010年の2回「ラオスフェスティバル」が東京・代々木公園で開催されました。

 

 

貿易:

主要貿易相手国

タイ、ベトナム、中国、豪州、韓国、日本他

主要貿易品目

輸出: 金・鉱物、縫製品、電力、農産物・家畜、木材製品

輸入: ODA*2・FDI*3関連の輸入、燃料、工業製品、

    衣料用原料、建設機材など

*2 ODA Official Development Assistance(政府開発援助)

*3 FDI Foreign Direct Investment(海外直接投資)

 

ラオスでは北部のナムグム・ダムを始めとして、山地を生かした水力発電が盛んであり、発電した電力は主に隣国タイへと輸出されています。これがラオスの主な外貨収入源となっていて、このためラオスは「東南アジアのバッテリー」と呼ばれることもあります。

ですが、私たちの活動地では、町中が停電になることがよくあります。

 

 

経済協力:

日本は1955年にラオスと国交を樹立して以来、ラオスとの友好関係を保っています。1975年にラオスが社会主義革命を行ってもなお、日本の経済協力は続けられました。ちなみに、日本のJICAの青年海外協力隊が最初に派遣された地もラオスでした。

 

・有償資金協力 189.30億円(2009年度15億円)

・無償資金協力 1,233.48億円(2009年度37.56億円)

・技術協力 約500億円(2009年度集計中)

[出展:日本国外務省]

 

≪日本による具体的な支援≫

 

・ ナムグム水力発電計画

 

 

・ 「東西経済回廊」

→ 第二メコン国際橋

→ 国道9号線改修

 

切手のデザインになった第二メコン国際橋
切手のデザインになった第二メコン国際橋

 「東西経済回廊」とは(ミャンマー)タイからラオスを通り、ベトナム(東シナ海)へと抜ける、道路のことを指します。「東西経済回廊」によってインドシナ半島は東西に結ばれ、経済上、非常に戦略的な物的・人的流れを生むことが可能になりました。この道路整備にあたっては、日本の援助による、第二メコン国際橋の架設工事と国道9号線の改修工事が行われました。

第二メコン国際橋は約80億円の円借款によって2006年に完成したメコン川に架かる道路橋。ラオスのサワンナケート(Savannakhet)とタイのムクダーハン(Mukdahanとを結び、ラオス国内の国道9号線を経由して、ベトナムへと抜ける。この橋の完成によりインドシナ半島を東西に連結する「東西経済回廊」が完成したことになり、ASEAN諸国の経済発展への寄与が期待されています。

―― 架橋工事中の2005年7月22日夕方。橋の上にてクレーン事故が発生し、建設中だった橋の一部が崩落するという大きな事故が発生しました。この事故では日本人技術者3名を含む、9名の方の尊い命が失われてしまいました。

「東西経済回廊」の完成となった第二メコン国際橋は彼ら9名の尊い犠牲を乗り越えて、大河メコンに架けられた、まさに東南アジア諸国の希望の橋なのです。

 

※切手の写真はJICAホームページより引用させていただきました。

 

 

・ ワッタイ国際空港ターミナル建設

 

 

・ ラオス・日本大橋

 

 ラオス第三の都市・パクセーにある「ラオス・日本大橋」はメコン川に架かる唯一の国内橋。日本の協力で2000年に完成し、ラオス南部の経済発展に大きな貢献を果たしている。この「ラオス・日本大橋」はラオスの切手や、紙幣の10000kip札のデザインにもなっています。

 

 

 

 

 

 

 

10000kip紙幣()

 

 

 

 

 

10000kip紙幣(裏)

中央に描かれているのが「ラオス・日本大橋」